2019年8月16日(1) シベリア、小田山、相模原、フィリピン、光太郎、ユネスコ、揖斐川

2019年8月16日の91件の報道各社の記事を観察しました。この日に見た紙面やネットでは、フィリピン、小田山、相模原、ユネスコ、シベリア、福岡大、音楽家、名古屋、黙とう、イワノフカ、ゆかり、夏休み、同級生、パネル、揖斐川、図書館、光太郎、のような単語が使われていました。91個のコンテンツURLを記録しておきます。(全91件のうち、1ページ目50件)
終戦の日の十五日、名古屋市内で始まった戦争展に、元小学校教諭の清水(きよみず)啓介さん(71)=同市熱田区=は、自ら調べた県内の戦災樹木の写真や資料を展示している。「戦争の傷痕を残す、まさに生き証人。平和の大切さを伝える存在を多くの人に知ってほしい」と語る。
中日新聞2019/8/16愛知
太平洋戦争中、戦地で喉の渇きを訴えながら亡くなった戦没兵士らを追悼する「献水祭」が十五日、名古屋市中区の県護国神社であった。戦没者の遺族ら約二十人が参列。社殿でお参りをした後、兵士をかたどって境内に建立された献水像に持参した水をひしゃくで順番にかけていった。
中日新聞2019/8/16愛知
終戦の日に合わせた「戦争しない、させない8・15湯沢雄勝集会」が15日、湯沢市役所会議室で開かれた。
秋田魁新報2019/8/16秋田
顔は、逢坂さんが物心つく前に戦争に行った父の写真そのまま、24歳で時が止まっていた。「ここまでよく来た。ドブロクは持ってきたか」。
東奥日報2019/8/16青森
聴覚障害がある佐倉市の樗沢(ぶなざわ)加津人さん(82)は戦時中、音が聞こえない中を米軍機の空襲から逃げ惑った。戦後は障害への差別に直面。「生きることで精いっぱいだった時代を知ってほしい」と、恐怖や苦難の体験を子どもたちに語り継いでいる。
東京新聞2019/8/16千葉
戦後74年がたち、年齢を重ねた戦争経験者は「戦争だけはしないで」と声を絞り出し、次代を担う小学生は「平和な世界にする」と力強く語った。出席者は世代を超えて不戦の決意を新たにした。松戸市遺族会会長の椿唯司さん(82)は、3度目となる本県の代表献花者を務めた。
千葉日報2019/8/16千葉
きょうだいや友達と駆け回った故郷は、米軍による相次ぐ攻撃で「焼け野原」になった。太平洋戦争では音楽好きで優しかった兄、親戚と友人を亡くし、16歳だった少女は不戦を誓った。茨城県日立市で生まれ育った。
千葉日報2019/8/16千葉
令和時代を迎え、戦争の記憶のさらなる風化が危惧される中、ひ孫世代の10代の4人が出席。戦禍がもたらす悲しみや苦しみを次世代に語り継ぐ決意を心に刻んだ。
愛媛新聞2019/8/16愛媛
15日の愛媛県戦没者追悼式の中止を受け中村時広知事は「今後とも先の大戦の悲しい記憶を風化させないよう命の大切さと戦争の恐ろしさを、未来を担う若い世代にしっかりと継承し恒久平和の実現に全力を尽くす」との談話を出した。
愛媛新聞2019/8/16愛媛
不安が多い今の世の中で、再び戦争をしない決意をしたい」と話す。イワノフカ事件は旧日本軍がシベリア出兵中の一九一九年、ロシア東部イワノフカ村の村民ら三百人を殺害したとされる。シベリア抑留者だった横山さんは、戦友を弔うため八三年から現地への墓参を始め、事件の存在を知って以降はロシア人犠牲者の追悼訪問を続けてきた。
中日新聞2019/8/16岐阜
「戦争の悲惨さは忘れてはいけない」。昭和、平成と語り継いできた戦禍の記憶。戦争経験者や遺族の高齢化が進む中、新たな時代を担う若い世代は「自分たちが平和をつくる」と誓った。
岐阜新聞2019/8/16岐阜
「戦争はこうして人々のつながりを引き裂く。本当に悲惨だ。この思いを子どもや孫たちに伝え続けたい」と言葉に力を込めた。
東京新聞2019/8/16群馬
■攻撃開始に沸く同市に生まれ、尋常小学2年の時に戦争が始まった。真珠湾攻撃を告げるラジオ音声に学校中が盛り上がった。兵隊の演習風景を見たくて、弟たちと草を刈って干し、軍馬の餌用に部隊へ持っていったこともある。
上毛新聞2019/8/16群馬
山本一太知事は式辞で、「戦争の悲惨さ、平和の尊さ、そして我が国を守るために尊い命をささげた方々への敬意を、次の世代に継承し、戦争の惨禍を繰り返させないことは、私たちの責務」と述べた。県によると、日中戦争以降の群馬出身の戦没者は約5万人とされる。
上毛新聞2019/8/16群馬
=◎「戦争忘れない」式典では県内参列者を代表し、星野隆さん(75)=みどり市大間々町=が献花を行った。父の秀夫さんは終戦3カ月前の1945年5月に沖縄戦で命を落としたという。「今日、ここで献花できることを光栄に思う。
上毛新聞2019/8/16群馬
会によると、太平洋戦争中、旧渋川市の八つの寺で東京都北区などの子ども約600人を受け入れる計画があったという。
上毛新聞2019/8/16群馬
戦争の悲惨さを味わった藤生静枝さん(89)=太田市藪塚町=が戦争を振り返る「若者たちの夢の跡」(上毛新聞社刊)を自費出版した。海軍飛行予科練習生だった夫の故・佳市さんと、女学生だった静枝さん。2人が過ごした戦時中の青春時代を通して非戦の思いをつづった。
上毛新聞2019/8/16群馬
南区の真駒内中3年鈴木千尋さんはひめゆり平和祈念資料館を訪れ、戦争の悲惨さを痛感。「世界中で紛争が続く。対話で解決できる社会になってほしい」と訴えた。
北海道新聞2019/8/16北海道
令和になって最初の終戦の日を迎えることから「悲惨な戦争をしてはいけない。当時の様子を知ってもらい、残していきたい」との思いで手掛けた。本は三部構成。
中日新聞2019/8/16福井
数多くの悲劇が繰り返された戦争が終わって74年。1945年6月の福岡大空襲直後に米兵パイロットを処刑した「西部軍事件」の実行役となった元BC級戦犯による日記が注目を集めている。絞首刑。
西日本新聞2019/8/16福岡
福岡市の市民団体「平和のための戦争展ふくおかを成功させる会」は16~18日、毎夏恒例となっている戦争展を同市・天神のアクロス福岡2階交流ギャラリーで開く。
西日本新聞2019/8/16福岡
忠霊堂には日清戦争から太平洋戦争までの戦没者一万八千人余りのみ霊が眠る。遺族会はこれまで毎年、終戦記念日。
福島民報2019/8/16福島
東京都千代田区の日本武道館で十五日に行われた政府主催の全国戦没者追悼式で、福島県代表として献花した耶麻遺族連合会長の橋谷田征喜(せいき)さん(81)=西会津町=は戦争で亡くなった父の慶一さん=享年(。
福島民報2019/8/16福島
日中戦争で父慶一さん、太平洋戦争で叔父忠雄さんを亡くした耶麻遺族連合会長の橋谷田征喜さん(81)=西会津町=は15日、東京・日本武道館で行われた全国戦没者追悼式に出席し、福島県遺族を代表して献花した。妻初江さん(79)と一緒に式典に臨んだ橋谷田さんは「戦争は二度と繰り返してはならない」との強い思いを込めて献花台に花を手向けた。
福島民友新聞2019/8/16福島
同ギャラリーでは毎年、終戦の日の8月15日に合わせて戦争経験者の話を聞くイベントを続けている。今年は旧満州から家族と引き揚げた笹直美さん(76)=同区=が、母が残したという手記をもとに当時の様子を語った。
神戸新聞2019/8/16兵庫
現在は全国で講演し、抑留経験を歌ったオリジナル曲を演奏し戦争の悲惨さを伝えている。「唯生論」のタイトルには、命を大切にして自分の生き方を貫き、社会に尽くそうという思いを込める。「恩しゅうを乗り越え、戦争で亡くなった人の分まで命をつないでほしい」A5判、120ページ。
神戸新聞2019/8/16兵庫
台風10号の接近で、食糧難の時代に食べられた団子汁の振る舞いなどは中止されたが、終戦の詔書「玉音放送」や太平洋戦争の記録映像を流し、戦没者に黙とうをささげた。1982年から続け、38回目。戦没者の慰霊法要と焼香の後、正午に合わせて参列者全員で黙とうした。
神戸新聞2019/8/16兵庫
太平洋戦争終戦の前日、兵庫県香美町香住区沖で日本海軍の海防艦2隻が米国の潜水艦に撃沈された香住沖海戦。当時16歳だった宮代實也さん(90)=同県豊岡市=は、近くにあった海軍の青少年訓練所の訓練生として目撃した。
神戸新聞2019/8/16兵庫
米軍の少年兵をかくまい、憲兵に連行された-。神戸市須磨区の小池喜代美さん(88)は、両親から打ち明けられた終戦間際の体験を伏せ続けてきた。明かしてはいけないと信じ、2人の死後も心に封じてきたが、この春、思い立って手記にしたためた。
神戸新聞2019/8/16兵庫
日本本土の制空権は米軍が掌握していた。「空襲はB29(米軍の大型爆撃機)で、高度1万メートルを飛んどりました。迎撃する高射砲では届きません。
神戸新聞2019/8/16兵庫
現在は全国で講演し、抑留経験を歌ったオリジナル曲を演奏し戦争の悲惨さを伝えている。「唯生論」のタイトルには、命を大切にして自分の生き方を貫き、社会に尽くそうという思いを込める。「恩しゅうを乗り越え、戦争で亡くなった人の分まで命をつないでほしい」A5判、120ページ。
神戸新聞2019/8/16兵庫
太平洋戦争末期、満蒙開拓青少年義勇軍に志願し、15歳で大陸に渡った兵庫県福崎町の山下清市さん(92)は、福崎西中学校(同町福田)で続けてきた体験の語り部を今年で退く。敗戦後、シベリアで約2年間抑留され、極寒と飢え、強制労働を耐え忍んで帰国した。
神戸新聞2019/8/16兵庫
市は同飛行場一帯を戦争遺産として整備し、ミュージアムを擁する「地域活性化拠点施設」を2022年4月に開館し模型も移す。斎藤さんは、加西市には平和教育などで骨太なメッセージが必要と考える。「今は珍しいもの見たさで集まっているけれど、それだけではただのおもちゃ。
神戸新聞2019/8/16兵庫
太平洋戦争末期に米軍による激しい空襲と艦砲射撃で1500人を超す犠牲者を出した日立市の平和集会・行進が15日、市役所と平和通りで行われた。夏の日差しが照り付ける中、約160人が参加し、「戦争の悲惨さを忘れず、平和な社会を築く」ことを改めて誓い合った。
茨城新聞2019/8/16茨城
戦後74年となる終戦記念日の15日、戦争体験者から話を聞く催しが水戸市の県立歴史館で開かれた。海軍の少年兵だった大谷岩男さん(88)と、中国・北京で終戦を迎えた柏俊子さん(80)=ともに市内在住=がそれぞれ講演。
東京新聞2019/8/16茨城
石川県戦没者追悼平和祈願祭は15日、金沢市の石川護国神社で営まれ、遺族や関係者約190人が、戊(ぼ)辰(しん)戦争以降の戦没者4万4832柱と殉職自衛官17柱をしのび、平和への思いを胸に刻んだ。 自衛隊OBらでつくる県隊友会の浅加正文会長が開会の辞を述べ、祭主を務める「英霊にこたえる会」県本部の米沢寛会長が「尊い犠牲の上に築かれた平和であることを、われわれは忘れてはいけない」と祭文を読み上げた。
北國新聞2019/8/16石川
英霊にこたえる会県本部の内藤隆会長が「令和の時代を迎え、戦争のあった時代がますます遠くなり、記憶の風化を危惧する。次世代に正しく継承していくことを誓う」と述べた。参列者は戦没者名が記された火たき串を火にくべ、静かに手を合わせた。
岩手日報2019/8/16岩手
雪が50センチほども降り積もった1945年3月10日午前2時ごろ、米軍のB29爆撃機が盛岡駅近くの北上川沿いに焼夷(しょうい)弾を投下した。隣家が火の中に「起きなさい」と叫ぶ母親の声と爆音で目を覚ますと、隣家が火に包まれていた。
河北新報2019/8/16岩手
若葉小3年の伊藤椿姫(つばき)さんは「戦争はよく知らないけれど、たくさんの人が亡くなったことは知っている。これからも鐘を鳴らしに来たい」と決意していた。
岩手日報2019/8/16岩手
終戦の日の15日、太平洋戦争の県内の犠牲者を悼む戦没者追悼式(県遺族会主催)が、横浜市港南区の県戦没者慰霊堂であった。各市町村の遺族会代表ら約150人が参列し、正午の時報に合わせて黙とう。犠牲者に思いをはせ、平和への誓いを新たにした。
東京新聞2019/8/16神奈川
「戦争は絶対にしてはいけない。体験談を通じて若い世代に平和のバトンを引き継ぎたい」。強い信念で戦争体験を語り続ける女性がいる。
東京新聞2019/8/16神奈川
当時の日本は日露戦争の勝利から間もなく、海軍将校を養成する兵学校は少年たちのあこがれの的だった。成績優秀だった四三もこの翌年、兵学校を受験することになるが、日記には人生の選択に影響を及ぼす問題も記されている。
熊本日日新聞2019/8/16熊本
式を終え、「若い人が戦争の悲惨さを学ぶことが大事。日本の平和を維持するためどうすればいいか、一人一人が考えなければいけない」と平和への思いを新たにした。(嶋田昇平)。
熊本日日新聞2019/8/16熊本
京都府宮津市教育委員会は太平洋戦争終結間際にあった宮津空襲の体験者たちの証言をDVDにまとめた。空襲があった7月30日から同市浜町の市立図書館で視聴できるようになっており、市教委社会教育課は「8月は親戚が集まる時期。
京都新聞2019/8/16京都
上甲典子学芸員は「大都市部に近い亀岡市の特徴をとらえた戦争史を残したい。協力をお願いしたい」としている。同館では1日から縁故疎開を特集したロビー展「戦争・平和展」を開催する。
京都新聞2019/8/16京都
食料安全保障の面からも看過できず、食の基盤をどう守るのかが問われている。食料自給率は国内の食料消費が国産の食べ物でどの程度賄えるかを示す指標だが、前年度より1ポイント低下した。コメの記録的な凶作に見舞われた1993年度と並ぶ過去最低の水準である。
京都新聞2019/8/16京都
「亡くなった人や、戦争でつらい思いをした人のことを考えたい」とも話す。参列が契機となったのは間違いなかろう。追悼式では、この中学生を含む12~17歳の6人が青少年代表として献花し、9~17歳の14人が花を渡す補助役を務める段取りだった。
京都新聞2019/8/16京都
市内会員を中心とした16人が、それぞれの平和への思いを込めて制作した絵手紙や俳句などの作品約20点のほか、鈴鹿海軍工廠や鈴鹿海軍航空基地など市内の戦争遺跡を撮影した写真、軍隊生活などの写真を貼った当時のアルバム、父親の戦死が通知された日のことを記した絵日記などが並ぶ。
伊勢新聞2019/8/16三重
米軍人と交流する様子も収められ、専門家は史料としての価値を評価している。発見されたのは、いずれも海軍の訓練概要などを写真入りで記録した4冊で、大正期に製本したとみられる。「軍艦八雲練習航海記念大正八年十月卒業海軍機関少尉候補生」と記された冊子は、A4判で約100ページ。
河北新報2019/8/16宮城
小山代表は一連の戦争を賛美する詩を書き連ねたことに罪の償いの思いがあったと説明し「(あえて)不自由な山奥を選んだ。彫刻家の自負もあったが、行いへの反省から一度も彫刻を作らなかった」と述べた。光太郎は1931年に時事新報社の依頼を受け、石巻から宮古までを旅した。
河北新報2019/8/16宮城